大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(刑わ)1755号 判決

主文

被告人両名を罰金二万円にそれぞれ処する。

右罰金を完納することができないときは、金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人大月静夫、同渡辺しげ子、同海老沢丈次、同清宮繁瑛及び同牛山喜美枝に支給した分は、被告人両名の連帯負担とする。

被告人両名が、共謀のうえ、昭和四二年四月上旬ころ、「産経時鐘」一九六七年四月号に、柳沢太郎が倶楽部から支出された五万円を着服したかの如き虚偽の事実を記載し、もつて公然事実を摘示して同人の名誉を毀損したとの点は、無罪。

理由

(罪となる事実)

被告人沢野サト子は、昭和三五月一月五日ころから、同徳竹道子は、昭和三三年四月一日から、それぞれ東京都千代田区大手町一丁目三番地所在サンケイビル内社団法人産経倶楽部の事務員として雇傭されていたが、昭和四〇年一〇月二六日、両名とも同倶楽部から、理由を告げられず、突然解雇されるに至つたため、右解雇は同倶楽部専務理事柳沢太郎の専断による不当解雇であるとして、同倶楽部を被告として雇用関係存在確認の民事訴訟を提起する一方柳沢太郎の専断を糾弾するとともに被告人両名の正当性を同倶楽部会員に訴えるため、産経倶楽部従業員組合代表沢野サト子名義でほぼ毎月「産経時鐘」と題する印刷物を発行し、倶楽部会員有志に郵送配布していたものであるが、両名共謀のうえ、

(一)  昭和四一年七月下旬ころ、同月三〇日付「産経時鐘第三号」に、「千五百円の人形が六千円」との見出しをつけ、「柳沢氏は独自で購入したイタリア大使へのプレゼント(人形)の代金六千円を領収書もなく請求したのです。これは委員会で決議し、役員の賛同を得て為されたことではありません。柳沢氏が個人の資格で購入したものなのです。」、「私たちが調べたところ、この程度の人形は、内職者で千五百五拾円位の材料費で出来上るそうです。柳沢氏が私用に買つたものがいつのまにかクラブの公用として、転用されてしまつたのです。経理の方では、財務担当の役員からイタリア大使へのプレゼントの件で、何の指示も受けて居りませんでした。仮に、一国の大使にクラブから贈り物をするならば、なにも内職者より購入しなくてもよいと思います。」「柳沢氏が個人の資格で贈ろうと思つていたからこそ、内職者から領収書もなく、安く購入してきたのでありましよう。」などと、あたかも柳沢太郎が個人の資格で一、五〇〇円位で購入した人形を駐日イタリア大使に贈呈したのに、産経倶楽部の名義で贈呈したものであるとしてその代金六、〇〇〇円を同倶楽部に請求したかの如き、虚偽の事実を記載し、そのころ同文書を鎌倉市雪の下六二〇番地渡辺信一ら七九名の同倶楽部会員に郵送頒布し、

(二)  同年八月下旬ころ、同月二九日付「産経時鐘」に、「叙勲祝賀会の謝礼金を着服」との見出しをつけ、「昭和三十九年九月十五日評議員の竜野右忠氏の叙勲をお祝いするためクラブ主催の祝賀会がサンケイパーラーで開かれました。翌日、竜野氏の使いの人がお礼として金一封を持つて参りました。事務長はそれを受け取り保管し、午後に見えた柳沢氏に話しました。柳沢氏は『いいんだ。いいんだ。』と云つて受け取り、自分の上着のポケットにその金一封をさつさと入れました。その後、その金はクラブへ入金しておりません。竜野氏の方としては柳沢氏個人ではなく、祝賀会を開いてくれた産経倶楽部へお礼をしたのでありましよう。」などと、あたかも柳沢太郎が前記倶楽部の公金を着服したかの如き虚偽の事実を記載し、そのころ同文書を東京都目黒区清水町一一番地西崎春吉ら七九名の同倶楽部会員に郵送頒布し、

もつて、公然事実を摘示し、右柳沢太郎の名誉を毀損した。

(証拠の標目)〈略〉

(弁護人の主張に対する判断)

一弁護人及び被告人両名(被告人両名は、弁護人とほぼ同様の主張をしているので、以下単に「弁護人ら」という。)は、「被告人両名の本件各所為は、いずれも社団法人産経倶楽部(以下「倶楽部」という。)という一小社会に関係する事実であるから、公共の利害に関する事実に係り、その目的は、専ら倶楽部の運営の明朗化、民主化と、不当解雇の撤回という公益を図るに出たものであり、かつその内容はいずれも真実である。かりに、真実の証明が得られないとしても、被告人両名は、それを真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるから、本件は、いずれも故意がなく、無罪である」旨主張するので、判断する。

(一)  本件は、公共の利害に関する事実か。

判示(一)の摘示事実は、柳沢太郎が一、五〇〇円位の安価な日本人形を個人の資格でイタリア大使に贈呈したのに、倶楽部で贈呈したものであるとして、倶楽部に対し、立替代金名義で六、〇〇〇円を請求したというものであるから、詐欺罪の嫌疑にかかる事実であり、又判示(二)の摘示事実は、横領罪の嫌疑にかかる事実であつて、これらはいずれも未だ公訴を提起されていないことが認められるから、右各摘示の事実は、刑法二三〇条ノ二第二項により公共の利害に関する事実と看做すべきである。なお、弁護人は、「判示(一)の摘示事実の真意は、柳沢太郎が倶楽部に対し、領収書なしで代金を請求したことの不当性を強調し、及び柳沢が私用で購入した人形がいつの間にか倶楽部の公用に転用されたこと、したがつて、内職者から一、五五〇円位で購入したとすれば、六、〇〇〇円の請求は高すぎることを暗示する趣旨であつて、右柳沢の犯罪の嫌疑をことさら言おうとしているのではなく、「千五百円の人形が六千円」という見出しは、週刊誌の記事のそれを真似たにすぎないものである。」旨主張するけれども、見出しの一般の用例は、本文の要約であること、本件記事は、内容を一読すれば、柳沢太郎が、僅か一、五〇〇円位の人形を内職屋から購入したにもかかわらず、その立替金の名目で六、〇〇〇円を倶楽部に請求したと了解しうる部分を含み、前記見出しの表現と相まつて、何人にも、柳沢太郎に犯罪の嫌疑があるとの印象を与え、それが暗示の域を超えていることは否定できない。よつて、弁護人のこの点に関する主張は採用できない。

(二)  公益を図る目的に出たものであるか。

次に、被告人両名が専ら公益を図る目的のもとに、判示各所為に出たものかどうかを検討すると、検察官は、この点につき、被告人両名は、当時倶楽部に対し雇用関係存在確認請求訴訟を提起し、東京地方裁判所において審理中であり、被告人両名は、同訴訟を有利にし、あるいは柳沢太郎に報復しようとする目的をもつて本件行為に出たものであつて、何ら公益を図る目的に出たものではないと、主張する。ところで、刑法第二三〇条ノ二第一項の「其目的専ラ公益ヲ図ルニ出テタルモノ」というのは、もとより公益を図る以外の他の目的との競合を絶対に排除する趣旨と解すべきではない。けだし、人間の内心の動機・目的は、通常、打算や感情に支配されて複雑であり、かつ周囲の情況に応じ流動的であつて、純粋又は絶対の動機に基づく場合は、実際上稀有であるばかりでなく、このような人間の主観的事情はまた、近時社会の生活関係の複雑化及び国民の法意識の高揚に伴い、公益と私益の限界は漸次相対的となり、両者を明瞭に識別して観念しうる生活関係が、次第に影をひそめ、代つて私益及び公益の両面が交わる生活関係が増大しつつある客観的情況と相呼応していることを考えると、行為者の偶然的な主観や区々たる表示に捉われることなく、内心に存する動機・目的のほか、行為の全体を客観的に観察し、そこに公益的意義が看取される場合には、内心に私益的動機が存在していても、前記法条にいう「其目的専ラ公益ヲ図ル」に出たものと解するのが相当だからである。そこで、本件につき、これをみると、判示の如く被告人両名は、昭和四〇年一〇月二六日倶楽部から何ら首肯するに足りる理由もなく突然解雇されるに至つたところ、前掲証拠によれば、被告人等は、右の解雇を専務理事柳沢太郎の専断による解雇権の濫用であるとして、倶楽部を相手取り、雇用関係存在確認の民事訴訟を提起し、訴訟外活動として、昭和四一年五月ころ「産経倶楽部を不当に解雇された私達の訴え」と題する書面を会員有志に郵送配布したのを手始めに、以後「産経時鐘」と題する印刷物を定期的に郵送配布していたものであること、右の文書配布は、解雇の不当性を倶楽部会員に訴え、とくに解雇の責任者である柳沢太郎の専断的な業務執行の姿勢を糾弾し、会員に倶楽部運営の明朗化と民主化を呼びかけていたものであることが認められる。右の事実によれば、検察官のいうように、被告人両名が審理中の民事訴訟を法廷外活動の助けをかりて自己に有利に展開しようとし、同時に柳沢太郎に報復する意図をもつていたこと、すなわち私益目的の存することは否定できない。しかしながら、昭和四二年七月二六日言渡の前記雇用関係存在確認訴訟事件にかかる東京地方裁判所判決が、専務理事柳沢の行為につき、「はるか年下の同原告ら(被告人両名)に対しては、その言辞を戒めれば足りるにもかかわらず、襟首をつかむ等の所為に及んだことはまことに分別のない行為というほかはない」としたうえ、本件解雇が、「使用者側と労働者との間に感情的なゆきちがいが存する場合において、その理由を問わないまま労働者の解雇をもつて事態を解決」したものであつて、結局、「解雇の意思表示は恣意的であり、権利の濫用として無効」である旨判断していることを考慮すると、被告人両名の本件各所為が、雇用関係の正常な回復を目的としてなされたものであることは明らかである。しかして、労働関係は、現代社会における基本的生活関係であつて、それが正常に維持されるかどうかは、単に当該労働関係に立つ労働者の個人的利益にとどまらず、憲法第二七条にいう国民の勤労の権利の保障及び憲法第二五条にいう国民の生存権確保という公共的見地から、国も無関心でありえないから不当な解雇の撤回を目的として、その当面の責任者である柳沢太郎の非違を糾弾した被告人両名の各所為は、前記法条にいう、専ら公益を図る目的に出たものに当ると解するのを相当とする。

(三)  各摘示事実の真実性

よつて、本件各摘示事実、すなわち本件各記事によつて疑いをかけられている事実が、真実であるかどうかにつき検討する。

(1) 判示(一)の摘示事実について。

(イ) 右摘示事実につき、前記の如く弁護人は、「柳沢太郎にかかる犯罪の嫌疑を摘示したものではない」というけれども、摘示事実が、弁護人が主張する趣旨に止まるならば、専務理事として業務を適正処理すべき公的立場にある柳沢としては、その程度の非難は甘受すべきであり、かりにそれによつて、柳沢の名誉が毀損されたとしても、被告人両名の所為が、柳沢らによつて画策された不当解雇に端を発する事情を考慮すれば、可罰的違法性を欠くものとして犯罪の成立が否定されることもありうべく、この場合には、あえて真実性の証明までも必要としないこと勿論である。しかしながら、摘示事実の本質的かつ重要な部分は、柳沢が、真実は一、五〇〇円程度の安価な人形を個人の資格でイタリア大使に贈呈したにもかかわらず、これを倶楽部名義で贈呈したものとして、立替金名義で倶楽部に対し六、〇〇〇円を請求したという点にあることは、さきに述べたとおりであつて、真実性の証明はこの点についてなされることが必要であるとともに、かつそれをもつて足りるというべきである。

(ロ) 前掲証拠によれば、(a)昭和四〇年九月初めころ、倶楽部の名誉会員である駐日イタリア大使マウリリオ・コッピーニが離日するに際し、同氏からレセプションの英文の招待状三通が倶楽部宛郵送されたが、その招待状の宛名は、馬場重記(前理長)、柳沢太郎(専務理事)、中山一衛(常務理事)の三名であつたこと、(b)そこで、柳沢が前記馬場に相談したところ、記念品を贈ろうという話になり、当時の石井太吉理事長を交えて協議したがその席上、イタリア大使には、前年の四月倶楽部で講演した際謝礼として天賞堂の時計を贈呈しているので、今回は日本趣味的なものにしたらどうか、という話があり、全員が賛同して日本人形を贈ることに一決したこと、(c)柳沢は、兵隊時代の友人渡辺浩の妻が人形学院の先生をしていることを思い出し、練馬の同人宅を訪れ、妻緋志幸ことしげ子に五、六千円程度の予算で人形の製作を依頼したこと、(d)渡辺しげ子は、東京人形学院三級師範の資格をもち、自分の製作した人形が外国大使に贈呈される機会を与えられたことをことのほか名誉に思い、こころよく引き受け、浅草橋の人形材料専門店で買い求めた最高級の材料(その費用約四、〇〇〇円)を使用して「千代田城」なる人形を入念に製作し、ケースも最高級のものを使用したこと、このため、渡辺しげ子の製作した人形の原価は、材料費(それを買うための交通費を含む)、ケース代に相応の手間賃を加えると、優に六、〇〇〇円を超えるものとなつたが、同女は始めから損得を度外視して引き受けたので、代金を六、〇〇〇円に止めたこと、(e)渡辺しげ子は、人形を目黒区柿の木坂の柳沢太郎に届けたところ、同人が不在であつたので、妻がこれを受け取り、渡辺しげ子に代金六、〇〇〇円を支払つたが、このとき同女が領収書の持ち合わせがなかつたので、後日郵送することを約して辞去したこと、(f)柳沢太郎は、同年九月二一日右人形を倶楽部に持参し、数日間理事長の机の上に置いて役員等に展示したが、当時、健康がすぐれなかつた石井理事長もこれを見るためわざわざ倶楽部に出向いてきたこと、(g)監事の大月静夫が人形ケースに「親愛なるイタリア大使マリリオ・コッピーニ閣下、離日に際し記念として之を贈呈す」「昭和四〇年九月吉日」「社団法人産経倶楽部」と墨書し、海老沢事務長がイタリア大使館に届けたこと、(h)柳沢は、倶楽部に人形を持参した日、経理を担当していた被告人沢野に「人形代金六、〇〇〇円を払つてくれ。」

といつて請求したところ、同被告人が「じやあ領収書をお願いします。」といつて領収書の提出を求めるや、柳沢は「領収書はない。倶楽部で使つている領収書に柳沢の名前を書いて判を押せば、それでいいんだ。」といい、同被告人が重ねて「人形を買つた店の領収書をお願いします。」というと、柳沢は「問屋で安く買つてきたから領収書はない。」と答えたが、このとき、そばにいた被告人徳竹も「お人形を買つた店の領収書でなければいけないんじやないんですか。」といつて、被告人沢野に同調したので、険悪な空気を察知した事務長の海老沢丈次が自分が責任をもつからといつて、被告人沢野から六、〇〇〇円をとつて柳沢に渡し、柳沢から同人名義の六、〇〇〇円の領収書を受け取つて、その場は一時収まつたこと、(i)後日、柳沢は渡辺しげ子から六、〇〇〇円の領収書(昭和四五年押第一〇一〇号の一五)の送付をうけたので、九月二八・九日ころこれを倶楽部に提出したことが認められる。

(ハ) 右の事実によれば、問題の日本人形は、真実は、倶楽部が当初からイタリア大使に贈呈する目的で、柳沢太郎を介して購入したものであること及び製作者渡辺しげ子に支払つた代価が六、〇〇〇円であることは明らかであつて、結局判示(一)の摘示事実について、真実の証明は、ないものといわなければならない。

(2) 判示の摘示事実について。

(イ) 前掲証拠によれば、(a)倶楽部では、昭和三八年四月、馬場重記が理事長に就任して以来、倶楽部の行なう旅行会、宴会などの収支は、倶楽部の会計(以下「本会計」という。)とは別建とし、その行事の参加者の出捐によつて賄なう建前(以下「別会計」という。)をとり、収支が赤字となつたときは、行事の責任者らにおいて処置し、本会計からの補填をしないこととなつていたこと、(b)昭和三九年九月一一日、会員有志による水戸旅行会が催された際、会員一六人及び倶楽部事務職員三人が当日参加したが、参加予想の約半数に止まつたため、大巾の赤字を生じたので、当日旅行会に参加した馬場理事長、後藤叔久専務理事、中山一衛常務理事(旅行委員長)、柳沢太郎専務理事らの責任者が、その処置につき協議しつつあつたこと、(c)たまたま同月一五日倶楽部会員有志により、会員竜野右忠叙勲及び大泉寛三政務次官就任の祝賀会が催されたが、前記竜野と親戚関係にあつた会員菊地武一から叙勲祝賀会の謝礼金の名目で竜野から金五、〇〇〇円を出してもらい、これを水戸旅行会の赤字補填の一部に充ててはどうかとの提案が前記後藤専務理事らにもたらされ、右後藤らもこれを了承したこと、(d)前記菊地は、竜野にその旨を伝えたので、竜野は、翌一六日の午前中、叙勲祝賀会の謝礼金として五、〇〇〇円を包み、使いをやつて倶楽部に持参させたこと、(e)倶楽部では、海老沢事務長がこれを受け取り、金庫に入れて保管していたが、同日午後、柳沢太郎が出勤してきたので、海老沢が金庫から前記金一封を取り出して柳沢に渡したこと、(f)柳沢は、「いいんだ、いいんだ」といいながらこれを受け取り、隣の談話室にいた後藤専務理事に渡したこと、(g)海老沢事務長はかねてから「別預り記入帳」なる帳簿(昭和四五年押第一〇一〇号の一)を作り、別会計の収支を記録していたが、前記水戸旅行会に関しては、支出として、「昭和三九年九月一日、職員三人海原氏旅行費(水戸)一〇、〇〇〇円」及び「同月一四日、水戸旅行、写真焼付は柳沢、四二〇円」、収支として「同月一六日、水戸旅行残金、八、八六七円」の記載があるのみであつて、収支の詳細な記録はなく、ただ同人の手許に、観光バス代三万四、〇〇〇円、折詰、ビール、御土産代二万七、〇〇〇円など合計金額六万六、八九〇円の領収を示す八枚の領収書(昭和四五年押第一〇一〇号の一七)が残されていること、(h)被告人沢野は、倶楽部の本会計の事務を担当していたが、別会計には全く関与していないこと、したがつて同人は、前記記入帳の存在は知つていたが、その内容を知る機会がなかつたことが認められる。右の事実によれば、前示(二)の摘示事実についてもまた真実であるとの証明がない。

(ロ) 弁護人らは、「叙勲祝賀会は、倶楽部の正式行事であつて、会員有志の集会ではないから、叙勲者からの謝礼金は、倶楽部の本会計に入金されなければならないのに、柳沢がそれをしない以上、着服横領とみられるのは当然である」旨主張する。なるほど、倶楽部の月報(機関誌)である産経クラブ一九六四年一〇月号(昭和四五年押第一〇一〇号の一三)八頁下段には「大泉、竜野両氏祝賀会」なる記事が掲載され、又開催通知などの通信費が倶楽部の本会計から支出されたり、通知状の発送、参加者の受付、会費の徴収などの事務が倶楽部の事務員である被告人等によつて処理されてきたことも事実であろう。しかしながら、叙勲祝賀会の主催者が、倶楽部か、会員有志かという議論は、検察官のいうように、法律概念的議論でしかない。けだし、主催者という概念がそもそもあいまいであるが、それが必ずしも計算の主体又は損益の帰属者を意味するものではなく、又両者がつねに同一でなければならないという原則はない。しかして、前認定の如く倶楽部においては、宴会や旅行会などの費用は、受益者負担の原則に則り、参加者の出捐によつて賄い、これにより、赤字が生じても、本会計からの補填はこれをしないとの建前を貫いており、叙勲祝賀会も亦、「宴会」にほかならないから、前記「別預り記入帳」には、収入として、「昭和三九年九月一五日、大泉寛三、竜野右忠氏祝賀会会費、三四、八〇〇円」なる記載が、又これに対応する支出とみられる「同月一七日、宴会費サンケイビル支払、三三、二九四円」なる記載があつて、本件叙勲祝賀会は、別会計をもつて賄われたことが明らかである。行事に伴う収支の計算を右のような形で処理することは、本件祝賀会の主催者が倶楽部であるかどうかということと何ら関連はなく、ことは、専ら実際上の便宜の問題に属する。そうすると、前記竜野から祝賀会の謝礼として寄せられた金五、〇〇〇円が、当然倶楽部の本会計に処理されなければならないという理由はない。よつて、弁護人らのこの点に関する主張は、理由がない。

(ハ) 次に、弁護人らは、「別預り記入帳によれば、水戸旅行会の収支の結果は、八、八六七円の黒字となつていることが明らかであるから、柳沢太郎が叙勲祝賀会謝礼金五、〇〇〇円を水戸旅行会の赤字補填に使用したというのは、事実に反し、単なる言い逃れである」旨主張する。ところで、前記「別預り記入帳」の内容を逐一検討すると、右帳簿は、別会計の現金出納簿であつて、記載の方法は、宴会、旅行会等に関する現金出納を日付順に記帳しているため、各行事ごとの収支の対照は一見して明瞭でないが、宴会に関しては概ね収支の項目ごとに記帳されているのに対し、旅行に関しては、原則として項目ごとにいちいち記帳する煩をさけ、記帳前に収支計算を行ない、その残額のみを一括記帳する方法によつていることが認められ、海老沢証言によれば、本件水戸旅行会の残金八、八六七円の記帳も右の方法によつたものであることが認められる。しかして、前掲証拠によれば、水戸旅行会終了直後においては、三万円程の赤字を生じたが、旅行会実行の責任者らが協議した結果、馬場理事長が一万円を寄付するほか、前記祝賀会の賓客であつた竜野及び大泉の両名から謝礼金の名目で各五、〇〇〇円づつを拠出してもらい、さらに会員の菊地武一が若干を拠出して、右の赤字補填に充てることとし、これを収支計算した結果、八、八七六円の残余を生じたものであることが認められる。そうすると、竜野から寄せられた五、〇〇〇円を旅行会の赤字補填に充てたことと、「別預り記入帳」に八、八七六円の収入記載があることとは何ら矛盾するものではない。しかも、さきに認定した如く、旅行会に先き立つ九月一日に職員の旅行会参加費として前渡の形で別会計から一万円及び同月一四日写真代として四二〇円をそれぞれ支出しており、水戸旅行会の責任者が、この分を別会計に戻入することを当然考慮にいれていたものとみるのが相当であるから、結局右旅行会の収支決算は、黒字とはならず、かえつて、一、五四四円の赤字となつているというべきである。したがつて、「別預り記入帳」の「残額八、八七六円」なる記載は、行事によつて生じた黒字を意味するものではなく、実は、前渡金の戻入を意味するものといわなければならない。よつて、弁護人らのこの点に関する主張もまた理由がないというべきである。

(四)  誤信には相当の理由があるか。

被告人両名が判示各摘示事実を真実であると確信していたことは、被告人両名の当公判廷における供述により明らかであるが、右各摘示事実については、前記の如くいずれも真実の証明がなかつたことに帰するから、被告人両名の確信は、結局誤信であつたといわなければならない。よつて、被告人両名が右の誤信に陥つたことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があつたかどうかにつき判断を加える。

(1) まず、弁護人らは、被告人両名が誤信に陥つた資料及び根拠として、各摘示事実につき多数の事実を挙げているが、一、二の例外を除き、概ね外形的、情況的事実に属し、それ自体は、証拠価値に乏しく、誤信の相当性を支える確実な資料及び根拠となりえない。けだし、行為者の片言隻句や行動から受ける印象若しくは或る行為をしないこと又は風評等が、何らかの犯罪を推測させる場合のあることはわれわれの日常経験において必ずしもありえないことではないが、いやしくも表現の自由の名のもとに、公然他人の行為につき犯罪を云々するに当つては、一方的、独断的判断に陥ることのないような厳重な態度をもつて臨むべきことは当然であり、とくに誤信の可能性の大きい情況証拠からの推理には極めて注意深い態度が要求されるからである。よつて、弁護人らが、各摘示事実につき誤信に陥つたと主張する根拠のうち、確実性の比較的高いと認められるものにつき検討を加えることとする。

(2) 判示(一)の摘示事実につき、弁護人らは、「被告人両名が、本件人形が材料費一、五〇〇円程度の廉価品であると信じたのは、週刊誌などのグラビヤに掲載されている写真により本件人形が「千代田城」であることがわかり、「千代田城」の人形材料を発売している代々木の東京人形学院に出向いてパンフレットを入手して確かめた結果であつて、この点から誤信には確実な根拠がある」と主張する。なるほど「お人形づくりのご案内」と題する東京人形学院発行のパンフレット(昭和四五年押第一〇一〇号の一一)によれば、同学院の通信教育用人形教材として「千代田城」の教材費一、五五〇円なる旨の記載及び別葉に「千代田城」の出来上りを示す白黒写真が掲載されていることが認められる。しかしながら、「千代田城」なる名称を付された人形は、前記東京人形学院の創作にかかるものであつて、一般に市販されていないとしても、人形は本来手工芸品であるから、材料を自由に選択して「千代田城」なる人形を多種多様に製作しうること、したがつて用いる材料のいかんによつて当然価格の高低がありうること、かりに、右の人形教材を使用したとしても、製作費及びケース代を加えて、代金が一、五〇〇円程度となることは絶対にありえないことであるにもかかわらず、被告人両名は、このような点につき殆んど考慮を払うことなく、又さらにすすんで、「千代田城」の通信教育用教材の実物にすら当つて調査することもなく、前記パンフレットの記載及び白黒写真のみから、イタリア大使に贈呈した人形が一、五〇〇円(但し、記事によれば材料費一、五五〇円位)の廉価品であると速断したのは、とうてい誤信につき相当な理由があるとはいい難い。この点につき、被告人両名は、当公判廷において、「本件人形は、材料費一、五〇〇円程度、ケース代、製作の手間賃などを含めてもせいぜい二、五〇〇円程度のものであることは、被告人自身の目で見たのであるから絶対に間違いない」旨供述するけれども、被告人両名の検察官に対する各供述調書では、その点について何ら供述していないのみならず、前掲渡辺しげ子の証言に照してとうてい信用できない。そうだとすれば、弁護人らは、判示(一)の摘示事実につき被告人両名が誤信に陥つた根拠として、さらに、(a)製作者から本件人形が直接倶楽部へ届けられないで、柳沢太郎の自宅へ届けられたこと、(b)柳沢は、倶楽部において本件人形をあたかも個人の資格で購入し、これをイタリア大使に贈呈するかのように振舞つていたこと、(c)従来外国大使などには必らず天賞堂の置時計を贈つており、日本人形を贈るのは異例であつたこと、(d)経理担当の被告人沢野に対し柳沢が人形代金六、〇〇〇円を請求した際領収書がなかつたこと及び領収書の提出を要求した際柳沢が激怒したことなどを挙げているけれども、これら個々の事実はもとより、これを綜合考慮しても、柳沢が人形代金として過大な代金を倶楽部に請求したという推論は、飛躍的であつて、とうてい誤信の相当な理由とはなりえないというべきである。

(3) 判示(二)の摘示事実につき、弁護人らは、「当時、被告人両名は、柳沢太郎が、海老沢事務長から、竜野氏叙勲祝賀会謝礼金の入つた金一封を「いいんだ、いいんだ」といいながら受けとり、ポケットに入れた事実を目撃したが、右の謝礼金は、倶楽部の本会計事務担当の被告人沢野のもとに入金処理されていないのであるから、柳沢が右金員を横領したことが真実であると信ずるにつき相当な理由がある」旨主張する。しかしながら、当時、宴会及び旅行会の経理については、前に述べたように、倶楽部の本会計とは別個に処理され、海老沢事務長が、右別会計を担当していたことは、被告人両名も熟知していたのであるから、叙勲祝賀会が、倶楽部の正式行事であるかいなかはともかく、実態は宴会であつて、その収支が別会計により処理されるべきものであることは、叙勲祝賀会の参加者からの会費収入及び宴会費用の支出が、本会計事務担当の被告人沢野のもとでなされていない事実から容易に判明しうることであり、したがつて、前記竜野から寄せられた叙勲祝賀会の謝礼金が、本会計の収入に計上されなければならない必然性が存しないことが明らかである。そうすると、被告人両名が、右の点につき何ら顧慮することなく、前記祝賀会謝礼金が、本会計に入金処理されなかつたとの一事をもつて、直ちに柳沢が右金員を横領したものと誤信したのは、被告人両名の独断によるものであつて、その誤信につき相当の理由があるとはいえないことは勿論である。

(五)  以上認定したとおり、判示(一)及び(二)の各摘示事実については、柳沢太郎が犯罪に該る行為をなしたとの証明はなく、又、それを疑うに足りる相当な理由すら認め難い。被告人両名が、それにもかかわらず判示(一)及び(二)の事実を摘示して本件犯行をなすに至つたのは、柳沢太郎を攻撃することに性急なあまり、決定的な直接証拠を欠いたまま、情況証拠を慎重に取り扱う配慮を怠つてこれを独断的、一方的に評価し、飛躍推理によつて結論を導びき出したものといわなければならず、しかも柳沢に対する個人的な憎悪の感情が、錯誤をいつそう増幅させていつたきらいがあり、その軽率な行動につき、刑事上の責任をとうてい免れることはできない。よつて判示(一)及び(二)の事実にかかる弁護人らの無罪の主張はいずれも理由がないというべきである。

二次に弁護人は、「被告人等は、倶楽部を解雇されたのち、産経倶楽部従業員組合を結成したものであるところ、本件は、労働組合としてなした正当な行為であるから違法性がない」旨主張するけれども、本件がいかに労働組合の活動としてなされたものであつても、公然犯罪の嫌疑を摘示して人の名誉を毀損することは、いわば言論による暴力にほかならず、著しく妥当性を欠き、正当性の限界を逸脱したものというべく、とうてい労働組合法第一条第二項の適用を受けるものと解することはできない。よつて、弁護人の主張は採用できない。

三弁護人は、「(1)被告人両名は、不当にも、柳沢太郎の専断によつて倶楽部から、一言の弁解も聞き入れられずに解雇され、生存を脅かされたこと、(2)柳沢が主張しているとしか考えられない解雇理由は、自身の非を顧みず、その責任を被告人両名におしつける虚偽の事実であり、これによつて被告人両名の名誉は著しく毀損されたこと、(3)解雇を撤回させ、職場に復帰し、職場の民主化をかちとるためには、専制的に解雇を強行した柳沢の方にこそ非があることを明らかにする必要があつたこと、(4)被告人両名は、自身が見聞した柳沢の倶楽部内における言動に限定して、柳沢の非行を明らかにしようとしたこと、(5)「産経時鐘」の配布は、倶楽部内、しかも倶楽部にしばしば出入りする会員に限定して配布したこと等を考慮すれば、被告人両名の本件所為は、目的、手段において社会的に相当であるから可罰的違法性はなく、名誉毀損罪は成立しない」旨主張するところ、右の(1)ないし(5)の各事実は、前掲各証拠に照して、ほぼ肯認しうる。しかしながら、被告人両名に対する解雇当否については、民事訴訟で審理中であつたところ、その正当な要求を実現する手段であつても、いやしくも犯罪の嫌疑を公然摘示して人の名誉を毀損することは、社会通念上許容された限度を超えたものであつて違法といわざるをえない(なお、この点は、一の(三)(1)(イ)においても述べたところである)。よつて、本件につき可罰的違法性を欠く旨の弁護人の主張は採用できない。

四弁護人は、「本件捜査を担当した東京地方検察庁村山検察官は、被告人沢野を昭和四二年六月一九日に、同徳竹を同年九月一九日に、それぞれ取調べ、その際、『もうこの事件で呼ばれることはないでしようか。』との被告人徳竹の質問に対し『もう終りました。これで結構です。』と答え、さらに『今後よく注意して書きなさい。』と訓戒したのであるから、同検察官としては、本件を不起訴とする方針であつたことは明らかである。被告人両名は、かりに本件公訴事実の容疑を免れないとしても、堅実な家庭に育ち、真面目に働らいてきた若い女性であつて、勿論前科もないのであるから右の不起訴処分は、当然であるのに、同地方検察庁は、その後一年余を経た昭和四三年一一月に入り、突然、被告人両名に、八巻検察官付村野検察事務官名で、再三出頭を求めてきた。これは、あたかも雇用関係存在確認訴訟の控訴審の結審が間近かに迫つた同月一三日、控訴人倶楽部が同日付準備書面により元最高検察庁検事、弁護士神山欣治ら三名の訴訟代理人の名において、「産経倶楽部」の記事による柳沢の名誉毀損を理由とする被告人両名の予備的解雇の意思表示をなしたときと相前後する。このような経過からみて八巻検察官は、民事控訴審において本件告訴事実の内容が争われている際、その一方当事者である倶楽部を利し、それに加担する結果となることを充分承知しながら、起訴すべからざる起訴をあえてし、そのため民事訴訟における和解を困難にし、被告人両名の名誉を著しく侵害し、物質的精神的に多大な損害を与えたものである。以上の事実にかんがみ、本件公訴は、公訴権の濫用として無効というべきであるから、公訴を棄却すべきである」旨主張する。

しかしながら前掲証拠及び検察官請求証拠目録によれば、倶楽部からの昭和四一年一〇月五日付第一次告訴、昭和四二年四月一五日付第二次告訴に基づき、村山検察官が捜査に着手したのは、被告人沢野を取調べた昭和四二年六月一九日ころからであつて、同徳竹を取調べた同年九月一九日当時、右被告人両名の取調以外、わずかに柳沢の任意提出に基づき証拠物として封書及び会員名簿を領置したのみで、被害者である右柳沢は勿論、被告人以外の関係人の取調べは全く行なわれていなかつたことが明らかであるところ、このような証拠集収の段階では、本件事案の性質、態様にかんがみ、起訴、不起訴を決しえないことはいうまでもないから、村山検察官としては、更に本件捜査の継続を必要とする状態にあつたというべきである。したがつて、村山検察官の漠然とした発言の語感から、同検察官が本件を不起訴処分とする方針であつたと断定する、弁護人の主張は、推測の域を出ないものといわなければならない。次に、被告人両名は、前記取調から一年余を経た昭和四三年一一月ころ、検察庁から再三出頭を求められたが、これに応じなかつたこと、この時期が倶楽部からなされた予備的解雇の意思表示のあつた時期と相前後するものであることは、当公判廷において取調べた証拠によつて認めることができる。しかしながら、当公判廷で取調べた証拠及び検察官請求証拠目録により、その後の捜査の経過をみると、村山検察官と交替した八巻検察官は、村野検察事務官をして未済となつていた本件捜査に当らせ、同事務官は、昭和四三年九月一九日から被告人両名の出頭を求めた同年一一月までの間、関係人として井上哉子、渡辺しげ子、海原宏文、西崎春吉、渡辺信一を取調べ、さらに翌昭和四四年三月八日、最後の柳沢太郎の取調に至るまで、中山一衛、大月静夫、伊藤秀雄、海老沢丈次ら延二一名の関係人の取調べに当つたほか、検察官も同年二月二六日及び三〇日、被告人両名とともに倶楽部を解雇された野沢治枝及び斉藤喜美枝を直接取調べるなど、六ケ月間にわたり不断の捜査を遂げ、結局被告人両名の再度の取調ができないまま同年三月二八日本件公訴を提起するに至つたことが認められるところ、このように本件の如きいわゆる在宅事件にあつては、担当検察官の更迭、手持事件の輻輳などのやむをえない理由により捜査の一時中断を生ずる事例は、まま見られるとともに、一方中断された捜査をいつまでも放置することは許されず、できるだけ速やかに捜査を完了して起訴、不起訴の処分を決定することは、検察官の果すべき当然の職務といわなければならない。さらに本件の如き事件にあつては、告訴人が捜査の成行につき関心を持ち、進んで捜査に必要な資料を提供する等のことがあつても、それが捜査に対する容喙や干渉にわたらない限り、告訴人たる以上、むしろ当然というべきところ、本件審理にあらわれた全証拠を検討しても、告訴人側から検察官に対し不当な働らきかけをしたり、又これによつて、捜査が左右されたような事情は何らうかがわれず、その他検察官が民事訴訟の一方の当事者を利する結果となることを知りつつ、これに加担するため、あえて、起訴に踏み切つたと認めるに足りる証拠はないから、結局、検察事務官が、被告人両名に出頭を求めた時期と前記予備的解雇の意思表示のあつた時期は、偶然に符合したものといういほかなく、公訴権の濫用とみるべき事情は毫も存しない。

しかして、本件が起訴不相当であつたかどうかにつき考えるに、わが現行刑事訴訟法は、刑事政策的立場から国家訴追主義及び起訴便宜主義をとり、複雑な諸般の事情を綜合考慮してなすべき起訴、不起訴の決定を公益の代表者である検察官の広汎な裁量に委ねているから、検察官が、犯罪の嫌疑がないことが明白であり、又は有罪判決を得るための証拠がないことが明白であるのに、何らかの不当な意図をもつて公訴を提起した場合の如く、公訴権の濫用となることが一見明白である場合はさておき、公訴の提起が起訴基準を逸脱したため、不適法となるかどうかを判断することは、裁判所の権能の外にあるものというべきところ、本件は、前記の如く検察官が公訴権を濫用したと認められる事情が存しない以上、本件をもつて起訴不相当の事案と断定する弁護人の右の主張は、理由がないといわなければならない。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、刑法第二三〇条第一項、六〇条、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するところ、所定刑中いずれも罰金刑を選択し、以上は、刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四八条第二項により、右各罪所定の罰金額の合算額の範囲内で、被告人両名をいずれも罪金二万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法第一八条により金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により主文第三項のとおり、その一部を被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑の理由)

被告人両名の本件犯行は、判示のとおり、その事実がないのに、専務理事柳沢太郎が倶楽部における立場を利用し、詐欺又は横領の犯罪をなしたかの如き記事を「産経時鐘」に掲載し、これを倶楽部会員の一部約八〇名に郵送頒布したというものであるが、被告人両名があえて本件犯行に至つたのは、直情径行型で粗野な柳沢太郎の言語態度が、倶楽部女子職員であつた被告人らをいたく刺戟し、それがことごとに感情的対立を生む原因となり、その結果、柳沢太郎が一挙に事態を解決するため、何ら理由を示すことなく、被告人ら女子職員四名の即時解雇をもつてこれに応じたことに、そもそもの発端があることは、まぎれもない事実といわなければならない。したがつて、被告人両名が、倶楽部を追放されたその日から本件犯行当時まで多大の精神的苦痛を受けたであろうことは、想像するに難くないところであつて、被告人両名の脳裡に、その受けた精神的苦痛と同様の苦痛を柳沢太郎に与えようという考えが去来したとしても、人間の自然な感情の流露として、一概に非難できないものと考える。さらに進んで、被告人両名が、うら若い女性の身でありながら、おそらくは世間の毀誉褒貶のなかにあつて、長期間にわたり、困難な民事裁判を追行しつつ、自己の正当性を主張し、又は「産経時鐘」の発行を通じて、会員に対し解雇の不当性を訴え続けてきたこと自体は、被告人両名の正当な行為として非難できないものであり、その強固な意志と勇気ある行動に対し、当裁判所としても、これを高く評価することに吝かではない。

しかしながら、翻つて考えるに、権利の行使は、それがいかに表現の自由に基づく場合であつても、調和と均衡を希求する人間社会においては絶対無制約ではありえないし、又近代国家においては、「眼には眼を、歯には歯を」という同害報復や私人による自力救済は、法律の許容しないところであるから、被告人両名が言論の保障の限界ないし法律上の禁止を逸脱して、軽率な判断に基づき公然犯罪の嫌疑を摘示して人の名誉を現実に侵害する結果を発生せしめたときは、その行為はもともと不当解雇により被告人両名がいわれのない苦痛や不利益を受けたことに基因するからといつて、直ちに正当性をもち、又は違法性をもち、又は違法性を阻却するに至るものでないことは多言を要しないところである。

かようにして、被告人両名は、刑法上の非難を免れないといわなければならず、雇用上の正当な権利回復のため、貴重な歳月を犠牲にして闘つた、その意義ある行動の歴史に、ひとつの汚点を残したものとして、被告人両名のため惜しまれるところであるが、被告人両名が、そのことに思いを致さず、さして反省の態度がみられないのは、遺憾というべきである。以上のほか、本件にあらわれた一切の情状を考慮し、被告人両名に対しては、主文第一項掲記の刑に処するをもつて相当と考える。

(無罪の理由)

(一)  本件公訴事実中、起訴状記載の三の事実(以下「公訴事実」という。)は、「被告人両名は、共謀のうえ、昭和四二年四月上旬ころ、「産経時鐘」一九六七年四月号に、「新事実 井上理事長七年忌香典の五万円を着服か?」との見出しで、柳沢太郎が初代理事長井上匡四郎の七回忌に倶楽部から支出された五万円を着服したかの如き虚偽の事実を記載し、そのころ同文書を東京都文京区本郷六丁目一三番四号蟹江茂男ほか多数の前会員に郵送頒布し、もつて公然事実を摘示して柳沢太郎の名誉を毀損した。」というものであるが、当公判廷において取調べた証拠によれば、前記産経時鐘一九六七年四月号(昭和四五年押第一〇一〇号の七)には、公訴事実と同旨の見出しのもとに、「去る四十年三月に初代産経倶楽部理事長の井上匡四郎氏の七回忌が行なわれましたが、柳沢専務理事は香典を持つて行くから、五万円用意するようにといい、勝手に持つて行くことに決めてしまいました。この七回忌のことは、クラブ宛に通知状が来たのでもなく、柳沢氏がどこから聞き込んできたことなのです。」「柳沢氏はすでにクラブから三菱銀行振り出しのギフト・チェック五万円を持つて参りました。七回忌に五万円贈るということは、議事録には書き込んであります。しかし香典のようなものは確かに受け取りましたと、受取りを出すものでもなく、柳沢氏が井上氏の方にまちがいなく渡したかどうかは疑問です。」「柳沢氏は理事長の七回忌という格好な口実で着服したことは事実でありましよう。」との記事が掲載されていることが認められるところ、これが柳沢太郎の名誉を害するに足るものであることは明らかであり、その他当公判廷において取調べた証拠により、その余の外形的事実はすべて認めることができる。しかしながら、当裁判所が本件公訴事実を無罪とする理由は、以下に述べるとおりである。

(二)  右公訴事実が公共利害に関する事実に係り、その目的が専ら公益を図るに出たものであることは、前記弁護人の主張に対する判断の欄において述べたところと同様である。

(三)  そこで、右事実の摘示事実が真実であるかどうかにつき検討すると、当公判廷で取調べた証拠によれば、(a)昭和四〇年三月九日、理事会が開かれ、当時の理事長馬場重記から、来る三月一八日に行なわれる元理事長故井上匡四郎氏の七回忌に際し、倶楽部として香典を贈つたらどうかとの提案があり、出席した後藤叔久専務理事、柳沢太郎専務理事、中山一衛常務理事、岸本義広監事らが、賛成して香典五万円を贈ることに決定したこと、(b)柳沢太郎は、海老沢事務長に命じて香典として同月一七日、三菱銀行大手町支店振出金額五万円の小切手(昭和四五年押第一〇一〇号の二)を用意させ、同月一八日、馬場理事長に伴つて、東京ステーションホテルで催された井上氏七回忌法要に参列し、受付で香典を遺族に手渡したこと、(c)同月二〇日、遺族井上哉子が住所に近い三菱銀行世田谷支店において右小切手を交換のため呈示し、その支払を受けたこと、が認められる。右の事実によれば右公訴事実記載の摘示事実については、真実の証明がないものというべきである。

(四)  被告人両名が、右摘示事実を真実であると信じていたこと、右摘示事実が真実の証明がないこと、したがつて被告人両名の確信は結局誤信であることは判示各事実と同様である。よつて、被告人両名が右の誤信に陥つたことににつき確実な資料、根拠に照して相当であつたかどうかにつき判断する。

(1)  被告人両名の当公判廷における供述及び証人井上哉子の証言を綜合すれば、被告人両名は、この問題を記事にするに先き立ち、直接、未亡人井上哉子に会つて確かめようと考え、昭和四二年三月一六日井上宅を訪問したが、その際、井上哉子は、被告人両名の質問に対し、「七回忌の法要には倶楽部には通知状も出していませんし、倶楽部関係はどなたもいらしやらなかつたと記憶しております。倶楽部関係といえばMさんしかいらつしやらなかつたと思います。お香典は受け取つていないように思います。」といい、「五万円ねえ、小切手で。」と思い出すような仕ぐさをしていたが、さらに言葉を続け、「小切手でお香典をもつてくるなんてどうでしようか。失礼じやないですか。確かに受け取つた憶えはありません。」、「記録が残つていますから調べてみます。二日後にお電話をして下さい。」などと語り、調査を約束したこと、及び被告人沢野が、その数日後、井上哉子に電話をしたところ、同女は、「七回忌の書類がちよつと見つかりませんが、確かに受け取つた憶えはありません。」と重ねて同様の回答をしたことが認められる。もつとも、証人柳沢太郎及び同井上哉子の証言並びに押収してある封書(井上哉子名義)一通(昭和四五年押第一〇一〇号の一七)及び三菱銀行の支払証明一通(同号の一八)を綜合すれば、井上哉子は七回忌法要の当日、香典を受領していることが認められ、井上哉子の前記発言が、自己の不確かな認識に基づいてなされたものであることは明らかであり、又、被告人両名と井上哉子の対話の経過を検討すると、被告人両名の主観的意図いかんにかかわりなく、若干の誘導質問的要素の混入がみられなくもない。すなわち、被告人両名が井上哉子に対し、香典を受け取つているかどうかを問う前に、予め「自分達は、倶楽部を突然解雇されて裁判中であること」、「柳沢という人が倶楽部でいろいろ問題を起している人であること」などを説明したため、井上哉子が多少被告人両名に同情的な態度で応接したのではないか。又被告人両名の「小切手の香典を受け取つたかどうか」という形式の発問が記憶喚起を促進する方向に作用しないで、かえつて「小切手による香典」が社会慣習上異例であるがゆえに、記憶喚記を始めから拒否する働きをしたのではないか。したがつて、このような質問方法の欠陥が、「確かに受け取つた記憶はない」という、まさに質問者の期待する答となつて現われたのではないかという疑問である。しかしながら、前者については、相手と初対面である場合に、何ら理由を告げないで、いきなり話を核心に持つていくというやり方は、一般の日常生活の実際において、つねに期待できることではなく、後者の点については、事実調査の専問家でない一般人にそこまで周到な配慮を要求することは無理であろう。

(2)  検察官は、「右のような被告人両名と井上哉子との面接の状況では、とうてい誤信の相当性を裏付ける確実な資料、根拠となりえず、さらに柳沢太郎や馬場元理事長に聞き質し、関係の銀行に照会する等の努力を払うべきであつた」と主張するのに反し、弁護人は、「井上未亡人は六〇才前後であつたが、実際よりも若く見え、言葉もしつかりしており、頭の切れるような感じの人であり、二〇分も当の本人と直接向いあつて話しをし、さらに数日後電話で同じような回答をえたのであるから、一般人の常識として真実であると確信するのが当然であり、これ以上、さらに真実性を確かめる努力をすることを期待すべきではない」と主張する。ところで、最高裁判所判例(昭和四四年六月二五日大法廷判決)は、「刑法二三〇条ノ二の規定は、人格権としての個人の名誉の保護と憲法二一条による正当な言論の保障との調和を図つたものというべきであり、これら両者間の調和と均衡を考慮するならば、たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損罪は成立しない」旨述べているが、ここでいう「確実な資料・根拠」とは、誤信の原因となつたそれを指称するのであるから、摘示事実の存在を証明するうえで、確実な証明力を備えているかどうかではなく、その資料・根拠が摘示事実の存在を証明するため一般に確実な手段として用いられる性質を具備しているかどうかを意味するとともに、その範囲も、職務上の権限をもち、それを豊富な専問的知識と経験に基づいて駆使しうる捜査機関が獲得できる資料・根拠であるかどうかを標準とするのは相当ではなく、常識ある一般人にとつて、真実であると確信するのが無理もないと認められる程度の資料・根拠であるかどうかをもつて判断の基準とするのが相当である。したがつて、井上哉子につき香典を受領したかどうかを確かめることは、摘示事実の存否を証明するうえに一般的に欠くことのできない直接証拠の一つであつて、捜査機関も亦それに依拠することの少くないものであり、判示(一)及び(二)の各所為がいわば不確実な情況証拠のみから飛躍的に推論し、摘示事実の存在を早計に確信したのとは異なり、すでに指摘したとおり多少の欠陥は免れないとしても、被告人両名が井上哉子との面接によつて、摘示事実を真実であると確信したのは無理からぬところであつて、同女の発言の内容に照しても相当の理由があるといわなければならない。さらに、被告人両名が柳沢太郎や馬場元理事長に確かめ、関係の銀行に照会する等の方法を試みることは、真否を確定するためより望ましいことにはちがいないが、すでに確実な根拠に基因して誤信に陥つている被告人両名に対し、捜査機関と同様の権限も便宜も持たないまま、そのような行為に出ることを期待することは、困難というべきであろう。

(五)  よつて、本件公訴事実については、被告人両名は、摘示事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて確実な資料・根拠に照し、相当の理由があるから、犯罪の故意がなく、被告事件が罪とならないものとして、刑事訴訟法第三三六条前段により、被告人両名に対し主文第四項のとおり無罪を言渡すべきものとする。

よつて、主文のとおり判決する。

(橋本享典)

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